1, 平成の年 桜田門を去る
2, 整理屋門下生デビュー (なくってよかつた暴力団対策法
3, 倒産劇の裏話・・・集金額が多すぎる
4, お名前拝借料・・・あとは適当にと老獪弁護士さん
5, 亡き「I会長」のご自宅 〔準備中〕
自宅の様子・精鋭のガードマン
コレクションで本が出せる 絵画・毛皮・時計・貴金属
修羅の群れ 最後の博徒・・・決して やくざ礼賛ではありません
6, 「私、訳ありましてヤクザにはなれません」 〔準備中〕
7, 黒装束の債権者 〔準備中〕
8, ガードしてた自分がガードされるとは 〔準備中〕
その他、関連する今日のタイムリーな事件の解説とあわせて随時紹介してゆきます。


■ 平成の年 桜田門を去る (2001.6.5作成)

 18年余りの警察生活に別れを告げたのは平成と年号が変わった正月の4日であった。

 警察の仕事にイヤ気がさしたのではない、どんなに使命感に燃え人一倍努力をしてもこの組織に「一人狼はいらない」と感じていたからである。「制服をきているだけでおまわりさん」であり、休まず・遅れず・働かず・疑問も持たず滅私奉公・・・警察の組織は一握りのキャリアがすべてを握っており、どんなに優秀なノンキャリアでも所詮はノンキャリア内での先陣争いなのである。

 昇任試験としては最後の段階になる「警部試験」で、「まだ若いから」と何の縁故の無い者は待たされる。人事課・企画課などの最右翼の課にいないと合格出来ない。何ともくだらない先陣争いであった。

 4回も「最終の面接試験」まで臨んだ警部試験・・・いつも理由無き不合格であった。4回目の時母を訪れ「こんな理不尽な警察はやめる」と話すと、「まだまだ他の人と比べても急ぐ事ないよ」と慰められ、いつしか母の亡くなる年まで勤める事になってしまった。母が望んだ公務員の仕事、制服の腕に銀や金のラインが入り、だんだんと部下の人数が増え、より責任の大きいポストに配置され・・・母にはそれなりの満足を与えたと思っている。

 正月の4日は警部試験合格内示の日、待たされに待たされ、もう論文の試験科目しか必要でなくなった「二部」と言う部門。上司の「おめでとう」との言葉をかき消すように「お世話に成りました、辞職させて頂きます」と告げると「せつかくの合格なのに」と。しかし前年、母の死んだ日からこの日の行動は計画通りであった。

 警察生活を回顧すると「有難う、未練なし」である。10箇所余りの所属で18年・・・仕事を覚えたかと思うと転勤となった事もあった。僅か1年余りの機動隊では、野球・ハイジャック訓練・成田警備・そして昇任。隊長から送別時「山田君、君は機動隊に何をしに来たのかね?」と笑われる事もあった。

 また一番長く在籍した「監察官」の仕事では、自分の行状を棚に上げて他人の「非違・非行」を指摘し、仕事内容をチェックする。何とも自分に優しく人には厳しい職務であった。

 そんな18年が突然終結しても、退職後にやりたい事はかなり前から視野に入れていたので「動揺したり戸惑う事」は全くなかった。折角学んだ法律知識を有効に、しかも納得出来る生き方で、誰しもが出来る事ではなく、やればやっただけの成果と報酬・・・そんな仕事がB氏のやっていた「整理屋」だったのである。

 違法行為はやらないものの、スレスレのところで・・・「弁護士と暴力団」双方を味方にして・・・

 その後の5年間は今までにない興味と体験を予感させるものであった。



■ 整理屋門下生デビュー(なくて良かった暴力団対策法)
(2001.6.10作成)
整理屋の生業(なりわい)

 世の中には必要悪と言うものがある。戦後の複興時、警察力だけでは蔓延する諸悪に対応する事は全く出来なかった。

 今の警察制度以前は、「夜回り」のような自警団的自治体警察であり、大きな悪を到底制圧する力を持っていなかった。

 そんな悪に対し、悪を以って制したのが「暴力団(博徒・的屋の古来からの団体)」である。彼らは神社や寺の「ひご」の元に栄え、或いは港湾や河川、一定地域・場所の利権を与えられ強大な勢力を持つ者が出始めた。

 組織が強大になると、今度はその組織が制圧・鎮圧を余儀なくされ幾つかの団体は「指定暴力団」となっていったのである。ところがこの暴力団より始末の悪いのが、彼らの威力を借りて経済犯罪を犯す「素人たち」である。

 そして会社倒産劇の裏には多くの場合この「素人経済犯」がかかわっているのである。

 7回も会社倒産をさせ、ぬけぬけと債権者集会に現れた社長には四方に暴力団の警護が付き、8回目の再建を訴え。全国を股に掛けた「商品の取り込み」。白紙の手形や債権譲渡書の乱発。家屋の占有や居座り不法工作物の設置。

 あくなき悪知恵を駆使し人を騙す、詐欺にならない程度を熟知している。危なくなると暴力団に保護を求める。前科前歴所属団体の無い素人だから逮捕されない。

 そんな人種を相手にしての「整理屋家業」の始まりである。

師匠 「B氏」

 師匠のB氏は20年も前から顔見知りの人。「いつも人相の悪い人達のこまり事・依頼事にかかわっているな」と思っていたらテレビの「ザ・整理屋」の特番に出ているではないか。「よし!やめたらこれをやろう」

 退職の翌日から「手伝わせて下さい、使えると思ったら報酬を決めてください。」と何時も数人の取り巻きがいる事務所に日参すると「桜田門の代紋が来たな!」と言って数日後「破格の初任給・新車・しかもB氏の2人の息子を部下に」との待遇で門下生となったのである。かなりの期待料込みであるがまずは大成功の転職と思えたのである。

なくて良かった「暴対法」

 数年前施行された「暴力団対策法」は企業の総会屋対策や会社ゴロ、事件屋、地面師等々に関連する事には「暴力団」が関わるとの事から、暴力団の匂いをちらつかせたら何でもかんでも検挙すると言うキツイ法律である。

 「整理屋」当時は、債権回収の手法が余りに威圧的な暴力団・団体に対しては、こちらも依頼の暴力団を以って話し合いをさせる事があった。

 そんな時は「債権者集会の終了」まで、決まって我々整理屋保護のため「暴力団の警護」がついたものである。特定の債権者に利益が偏らないように、「拉致」でもされて不等な配分を強制されないようになどの意味合いからであるが「警護」の使い方によっては「こちらが威圧している」事にも成りかねない。言い換えれば「暴力団の力をかりて債権・債務をまとめた」との感を与えてしまうのである。

 もしそうだとしたら、そこには間違いなく「暴力団対策法」に触れる行為をしている事になる。「円滑な債権者集会のために」と悪い来場者を予測して暴力団の警護で集会場に入ったらもう犯罪成立である。それは「暴力団の威力を背景に」との理由である。

 本当に、「なくて良かった暴対法」である。



■ 倒産劇の裏話・・・集金額が多すぎる (2001.6.15作成)
中堅商社の倒産

 日用雑貨・家電・家具・食品・衣料とおよそ何でも扱っている年商10億程の中堅卸商社が倒産した。こんな倒産劇での社長の常套手段は、倒産寸前に回収出来るお得意さんに一時商品を大量に納品(偽装販売)してしまうのである。

 倒産を知った債権者がかけつけても倉庫内は空っぽ、常時数千万はあったであろう在庫品は跡形もないのである。「計画倒産だ」と大声を挙げられても、倒産寸前に売却されてしまった自社商品は回収するすべがないのである。
 それから先は、他の債権者同様、債権額に応じた按分の配分を待つだけである。

豪快・A弁護士

 銀座のA弁護士がこの倒産劇を任意整理する事となった。倒産社長が私の師匠(整理屋B氏)と大学同級生と言う事もあってこの仕事を一緒に請け負うこととなった。

 A弁護士は刑事専門と言う経歴で、警察OBの私を気に入ったようだ。師匠には「山ちゃんをよこしておいてくれれば二人で整理するから」と言い、A弁護士の事務所に張り付けとなった。

 債権者会議には、弁護士を連れあるいは暴力団・右翼まがいを従え30社ほどの債権者達が集まった。倒産社長の経過説明に罵声と脅しが飛ぶ・・・「暴力団が委任債権を持ってかなり集まる」との事前情報で目には目をの強力団体を準備する。以前A弁護士の力でで「軽い刑期」になったと恩を感じている一大組織の援軍である。

 彼らは債権者席の最前列に陣取り、偽の罵声や演技をふるっての泣き言・・・これによって他の債権者をリードしいつしか「先生におまかせします」との大勢意見を作り上げてしまうのである。何か言いたい債権者も同調してしまう。実に見事な演出である。

債権・債務処理

 債権者会議で同意が得られれば、あとは事務的処理をするだけである。

 この頃になると、「怖い」と言って逃げていた経理の人も戻ってきて手伝いをさせる事が出来る。散りじりになった納品伝票を集める。

 倒産(手形不渡り2回目‥通常2赤と言っている)日の数日前から、支払いの良い小売店数社に「頼み込んで」少々の値下げをして買ってもらっていた。納品伝票は複数枚に分けてである。

 売り先の一覧表を作り、見込みの回収額を計算する。そこから弁護士費用と我ら整理屋手数料、倒産会社手伝い社員の日当などを差し引いて残りを按分配当である。

 何時もの事だが配当率は多くて10%程度である。

集金額が多すぎる

 一覧表に基ずき集金に回るのであるが、10数社には予め弁護士名の「支払いお願い」が郵送されているので、多少の値切りはされても2,3回の訪問で支払ってくれる。

 数社の集金を終え、そのつど弁護士名の口座に入金するのである。

 そんな集金での出来事であった。大手スーパーに赴くと、事前の訪問予告で経理部長が対応し、売掛一覧では四百数十万、領収証も用意してきている。

 大筋の倒産経緯を説明し、いざお金を貰う段になると「小切手」をおもむろに見せるのである、「あれ、735万?」・・・確か準備してきた領収証とは300数十万の違い。

 うまい事にまだ私のほうから金額を提示していない。経理部長が「納品伝票で計算したから」と言う金額である。

 この後に及んでどちらが正しい数字などと言ってられない。倒産劇のドタバタで、こちらの納品伝票もあいまいなのである。「まあ多い分には債権者も喜ぶだろう」との思いでその小切手を貰い、急遽新しい領収証を作り「一件落着」としたのである。

 「こんな事もあるんだな」と思い、その成果をA弁護士に電話するとA弁護士は「エッ、山ちゃんその事を誰かに話したか?」と言うのである。勿論集金には一人で行っているし、先方に悟られないように領収証も書き換えて置いてきたし、納品伝票で確認した金額だと言っているし・・・、誰も知るところではないのである。

 その旨を説明すると、「誰にも言うな」と釘をさし、「その小切手を現金にして、事務所となりの喫茶店へついたら電話をくれ」と言うのである。

 約2時間後、喫茶店から電話すると、A弁護士は「ボーナス、ボーナス、たまにはこういう余禄も無くては」と言って、何処にものっていない「300数十万円」の丁度半分をテーブルの下から私に手渡し「ウインク」をしたのである。

 少々後ろめたい気もしたが、後にも先にもこんなボーナスはこの時だけで「整理屋もいいもんだ」と思ったのである。



■ お名前拝借料‥‥「あとは適当に」と老獪弁護士さん
(2001.6.20作成)
これでも弁護士?

 B氏は整理屋の看板とは別に、「金融業」の資格を持っていた関係から、今日でいう「消費者金融」もやっていた。

 どういう訳かそのお客がE弁護士なのである。事務所は東京駅近くにそこそこの構えでやっているし「何で金がいるのだろう?」と不思議であった。

 会社の金庫にはE弁護士の差し入れた「担保の小切手」が何枚も保管されており、「弁護士が小切手を切るなんて」と不思議に思っていたのである。

後楽園での後姿

 そんな思いでE弁護士を見ていたのであるが、ある日曜日に「ああ、たまの休みだ、場外にでも行ってくるか」と中央競馬の馬券を買いに後楽園へ出かけたのである。

 後楽園場外は「黄色いビル」へと模様替えをし、売り場も拡張され何と言っても自宅から歩いてでも行ける至近で、暇とお金があれば「現職(警察官)のころから」出かけていたのである。

 新聞を広げレース検討をしていると、私の右肩にぶつかり「窓口」へ急ぐ白髪頭の老人が居たのである。「イテエッ」と一言文句をと思ってその後姿を注視すると、何とE弁護士なのである。幸い振り向く事はなく「窓口」に一目散だったので私には気付かなかった。

 少し離れた所から様子を見ていると、一万円札を何枚も出し、とても趣味とは思えないすごい買いっぷりなのである。「ははーん、これでやられてお金に忙しいんだな」・・・後になって酒も女も大好きとわかり、文字どおり「飲む・打つ・買う」のとんでもいない弁護士なのである。

名前貸します・・・「あとは適当に」

 任意整理は法的整理同様「素人だけ」で出来るものではない。債権者は「どの弁護士」が委任されているか必ず確認し、「素人だけ」では必ずと言って良いほど拒否してくるのである。

 そんな意味から、名前だけでも「債権者会議」までは弁護士が必要であり、金融のお客であったこのE弁護士は「まさに適任」の弁護士だったのである。

 「僕の手数料は小切手を破っておいて」と平然と借り金との相殺を要求し、「何時でも名前貸すよ」とヌケヌケと言うのである。そしていつも口癖のように「まあ、あとは適当に」と言い残す、本当に第一回目「債権者会議」までの都合の良い弁護士だったのである。

 今でこそ最難関の「司法試験」もこんなE弁護士が誕生した時代には「果たしてどんなだったのだろうか?」と思いたくなる「適当な先生」だった。

 数年後肝臓ガンで無くなり、何枚かの小切手も紙切れとなってしまったが「憎めない先生だった」と師匠も回顧するユニークな弁護士だったのである。