昭和 41年 城北高等学校卒業
45年 早稲田大学卒業
46年 警視庁奉職
47年 警視庁巡査・池袋署(警ら)
48年 警視庁巡査長・池袋署(警ら)
48年 警視庁巡査部長・東京水上署(警ら)
49年 警視庁巡査部長・第二機動隊(ハイジャック班指揮)
51年 警視庁警部補・石神井署(警ら・教養係長)
55年 警視庁警部補・第5方面本部(監察)
60年 警視庁警部補・交通部交通総務課(本部)
64年 警視庁警部試験合格内示同日依願退職
平成  1年 経営コンサルタント(整理屋)
 ■民事債権債務処理
 ■(株)みたけ森林の山梨県総合開発に参画
 ■建設会社、飲食店経営会社の再建
 9年 日本宝石科学協会・筆跡印鑑等鑑定に協力
 ■平成10年に筆跡印鑑等鑑定部として事業部化
(株)エヌエスディ東京所長(再建支援)
10年 (有)マルセイ商会 警備部設立
  (教育費任者:都公安委員会第6825号)
12年 日本宝石科学協会・筆跡印鑑等鑑定部を「清山筆跡印鑑等鑑定会」と称号変更し代表鑑定人となる。
その他 「犯罪被害者の会」相談員(文書)



父親知らず
 三人兄弟の末つ子として生まれるが、放蕩していた父親の顔も未だかつて知らず。
 3歳の時、口減らしのため伯父の元へ里子に出されるが、その伯父もすぐに死亡。
 継母の手で6歳までの多感な時期を過ごす。
 小学校入学の時、30万の養育費で継母の手から買い戻される。

野球少年
 二度目の父(養父)は大の野球狂。何が何でも野球漬け。
 少年野球・中学野球ではチョットしたヒーロー。日本テレビの第一回「がんばれ巨人軍」に最強少年野球チームとしてゲスト出演。
 中学大会に習志野・谷沢、早実・荒川(いずれも後に早稲田で同期)と対戦。幾つかの高校野球部からスカウトもあったが、肩のケガから野球を断念。

学生同棲
 17歳で出会った「妖精とも思えた女性」と間もなく実家同棲。”末は博士か大臣か”親の期待もこれでむなしく消え去る。それでも何とか稲門をくぐる事ができた。そんな訳で50歳を迎えずして四人の「未だ対面しない孫」に恵まれている。二人の娘にはどんな思いをさせているのか。せめて経済的安定を残して来た事で親の責任を果たした。

警察官時代
 18年余の警察生活は一言で回顧すると「悔いなく、面白かった」と言える。短期間で次々の階級に昇任出来たと言う満足感とそれに伴う配置転換により幾つもの仕事を経験できたからである。警ら(現在の地域課)・警務・刑事・防犯(現在の生活課)・交通そして機動隊と観察官。おおよそ警察の仕事は一通り経験できた。
 東京の出身、そこそこの有名大卒、拝命(就職)時すでに既婚等々、それまでになかった新入社員であった。そんな警察官の型破りな警察生活・・・。

整理屋時代
 平成という年の始まりとともに、「一般社会?」へ旅立った私だが、10数年来の先輩知人の中に「師と仰いだ」会社整理屋のB氏がいた。B氏は見せかけの「手形割引」と言う金融業の裏は、全国を股にかけた玄人(暴力団)ではない整理屋であり某テレビ局でも、ザ・整理屋として特番を組んだほどの人物であった。
 この年は、バブルに陰りの出始めた年でもあり企業倒産の件数が増え出した時期でもある。約5年の間に、大口の倒産劇を28件。北は函館から南は博多まで、本当に緊張とスリルの毎日であった。
 その体験は、それまでの警察時代と180度異なる、いわばすべてが裏の世界であった。

鑑定人の今
 犯罪被害者の会相談員(弁護士紹介までの無料お手伝い)鑑定歴10年(平成19年)。
 相談件数1005件、鑑定実績611件、法廷提出資料201件。
 悪からの防御・回避に少しでも役立てばと、立ち直り・回復の手助けになればと、賛同者・味方を求めて活動中。
 世の中、「善悪半々」。正直者が馬鹿を見ている。図々しい奴が生き残る。これでいいのか。悪を叩くのは非力で無理かも知れないが、善の助けになりたいものだと日々精進に勤めている。